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略歴
1949年結成。68年近藤惠子教諭着任の翌年、創部以来初めてNHKコンクール県1位、東海北陸大会で3位に入賞。以後16度の全国大会出場を果たす。1993年に初めて全日本合唱コンクール全国大会に出場、以後13度の出場を果たし、08年度大会では念願の文部科学大臣賞を受賞した。
2000年を記念して開催された世界合唱オリンピック(現:世界合唱大会)に日本代表として出場し、最優秀賞を受賞。以降、5大会連続で金メダルを、また最優秀賞を3度受賞している。
愛知県知事賞を2度、愛知県芸術文化選奨文化奨励賞を3度受賞。
定期演奏会の変遷
1980年、OB合唱団・コーラス部合同による第1回演奏会を岡崎市勤労会館(現:せきれいホール)にて開催。
以降毎年3月に開催。この演奏会を催すにいたるには深い事情があった(第30回定期演奏会パンフレット参照)。
1989年、第10回定期演奏会開催。この年から演奏会を岡崎市民会館大ホールにて催すようになる。
2002年、第23回より会場を現在の愛知県芸術劇場コンサートホールへと移す。
当時、市民会館での演奏会すら満席にならない状態だったが、より高いレベルでの合唱を追及するため、より響きのある会場への移転を決意した。
その成果は現在の定期演奏会における満場の拍手が物語っている。(岡崎混声合唱団については下記参照)
世界大会出場の経緯
2000年を記念してオーストリアで始まった「合唱オリンピック」(現在の名称は「World Choir Games」)に、
コーラス部は青年混声部門の日本代表に推薦され出場することになった。そのきっかけとなったのは前年、1999年のこと。
この年のNコンは福島代表の安積(女声)に次ぎ2位、全日本合唱コンクール岡山大会では金賞、そして2位の岡山県知事賞を受賞した。
共に混声合唱団としては全国1位であったために先の推薦をいただくに至った。また実際に海外遠征を果たせたのは、
当時の本校の校長である芳賀先生(故)の協力あってのことであることを忘れてはならない。
今でこそ(個人の学習成績が影響するとは言え)比較的自由に遠征することができるが、
数十年前の岡崎高校は文化部に対しては合宿も校外演奏会も絶対に禁止とするなど、非常に厳しかった。
実は先に述べた第1回演奏会の開催も、OB合唱団員の努力と学校側からの複数の条件をつけられた上でのことだった。
ところが芳賀先生は、海外遠征を相談すると、開口一番に認めてくださり、第1回世界合唱オリンピックへの出場が実現したのである。
そして迎えた第1回のリンツ(オーストリア)大会ではなんと世界チャンピオンとなることができ、そのまま次回大会の本選への出場権を獲得。
以後全大会で金メダルを獲得、3度世界チャンピオンに輝いた。
奥の院
このHPの名称である「奥の院」は、テナー部屋の奥にある小汚い部屋につけられた名前から採ったものだ。
この部屋はいわば岡コの備品庫であり、楽器や楽譜はもちろんのこと、予餞会用の秘密道具や年代物のレコード、
果てはイベントのための食材を保存する冷蔵庫まで! そういうわけで、本当はあるであろう6畳ほどの空間が実に狭くなっている。
年に数回は大掃除をして、(まさにあの有名な美容・整形番組のように)信じられないほどの変貌を遂げるのだが、
その後ことあるごとに物が投げ込まれ、ついには元の有様となってしまう。
ところで、どうしてこの部屋が「奥の院」と呼ばれるようになったのだろうか。その経緯は一切わかっていない
(ご存知の方がいれば教えていただきたい)。ただ、この「奥の院」という言葉は日本史の内容に登場する。
時は平安、最澄や空海で有名な天台宗・真言宗が登場した弘仁・貞観文化のころであるが、
密教が流通していた当時の寺院は深山幽谷に建てられることが多かった。そのためそれまでの「薬師寺式」や「東大寺式」といった
形式に沿った伽藍配置をとることが難しくなり、形式にとらわれない自由な伽藍配置がとられるようになった。
そうして祖師の霊像や秘仏、神霊などを祭る場所として、寺社の本堂や拝殿よりもさらに奥に「奥の院」が建てられたのである。高野山のそれが有名だ。
このように「奥の院」"人目には触れさせたくない非常に大切なもの"を安置するためのものであることがわかる。
音楽室の一角にあるこの部屋がこのように呼ばれているのも、そう考えると深くうなずける。ここにあるものには、
賞状や楯とはまた違う、代々蓄積されてきた"高校生としての思い出"が含まれているからである。それは愉快であったり、
あるいは(もしかしたら)赤面してしまいそうなものであったりするかもしれない。高校3年間という短くも輝かしい貴重な日々の切れ端が、
ひそかにこの部屋に残されている。
そう――勝手な考えを許していただくならば――、私達の言う「奥の院」という名は、岡コの若さの象徴なのである。
岡コ用語辞典:奥の苑はこちら
1979年、岡崎高校コーラス部の卒業生が中心となって「岡崎高校コーラス部OB合唱団」を設立。1985年より全日本合唱コンクールに出場。
以後7回の全国大会出場を果たし、3回の金賞受賞、2006年度の全国大会では一般部門(大編成)の第1位である文部科学大臣賞を受賞している。
また1999年、第20回定期演奏会を機に「岡崎高校OB合唱団」の団名を「岡崎混声合唱団」へと改称する。
岡崎高校コーラス部OBに限らず一般の方からも団員を募集し、地域の音楽文化の向上を目指すとともに、岡崎高校コーラス部の大きな支えとなっている。
(以上は2008年度までの記録)
09年度HP係より
岡崎高校コーラス部は数え切れないほどの方々の応援やご支援によって、これまで多くの成績をおさめ、演奏会を実施することができました。
その声にお応えするため、コーラス部としても日々の活動状況やコンクール・演奏会のお知らせ等は
できるだけ早く皆様にお伝えしようと努めなければなりません。今年度のHP係は、モバイル版の新設や公式サイトの大幅改修をし、
より身近で詳しい情報提供を目指しています。
惠子先生の音楽をより広く多くの人に届けるため、部員一同表現力の向上に日々努めていきますので、
どうぞこれからも皆様の応援・ご協力をよろしくお願いします。
(文責:09年度HP係)